ブロックチェーンとは何か的なことに関する個人的な理解
こんにちは。ここ1年半くらい大学行くの辞めて色々やってましたが、最近はブロックチェーンに興味を持ち、思想・技術的な側面について考えていたのですが、とりあえず思想的な話に関しては自分の中では腑に落ちたので軽くまとめようと思い書きました。
ブロックチェーンとは何か。
ブロックチェーン(暗号通貨)とは何か、ということですが、一言で言うと「グローバル通貨」であり、それ以上の物でもそれ以下のものでもないと言うのが自分の見解です。
通貨とは何か
ブロックチェーンとは「グローバル通貨」であると言ったわけですが、通貨とは何かみたいなことをまずは定義しようと思います。通貨とは基本的に価値という概念を表現するものだと思っているので、まずは価値とは何かを考えると
・人間の何らかの欲求を満たすもの
・複製できない
という性質を持つものであり、かつそれ(価値という概念)自体は特定の用途を持つ物ではなく、非常に汎用的な概念だと思っています。そして価値の持つ性質を表現できかつ価値の
・交換
・保存
・量を測る役割
を持つものが通貨と定義(認識)できるかと思います。(なんかそれ系の教科書とかにも通貨の定義みたいなの書いてあるはず。)
価値を表現するもの
今の社会でブロックチェーン以外にある程度汎用的な価値を表現するものが何があるかというと、例えば
・国や中央銀行が発行する通貨
・宝石
・証券、保険商品などの金融商品
とかかなと思います。(証券とか株式は含めなくても良いかも。)ブロックチェーンもよくこれらのものと比較されます。
通貨・宝石、金融商品の違いとブロックチェーン
デジタルゴールドと言われたりとか、証券かどうかみたいな話がよく議論になるブロックチェーンですが、これらの違いを考えてみたいと思います。
通貨と宝石の違い
通貨と宝石の一番の違いは交換が容易かどうかだと思います。どちらも価値という概念を表現するのに適したものだとは思いますが、宝石は加工の大変さとか物理的な体積、重さを考えると日常での価値交換には適していないと思います。
通貨と金融商品の違い
通貨と金融商品の一番の違いは何らかの色がついているかどうかだと思っています。これはどういうことかというと、金融商品は”何かに対する権利”を表現するものであるため、汎用的な価値を表現する物ではないと思います。
例えば会社の株式であれば、会社の意思決定に対する投票権、のようなものを表現していると思いますので、汎用的な価値を表現するものとは言えないと思います。
こういう観点で見ると、現状スケーラビリティや送金手数料の問題などで価値交換としての機能を十分に発揮出来ていない暗号通貨がデジタルゴールドと表現されたり、ICO等の独自コイン(発行者の色がついたもの)の発行が出来てしまうイーサリアムが証券と言われることがあるのも頷ける話かと思います。
それで、以上のような観点から見たときにブロックチェーンは何かという話ですが、ブロックチェーンで表現できるものは価値という概念を表現でき、かつインターネットを通じて容易に交換可能な電子データということかと思います。
ここに何らかの色がついていたらそれは証券と同等だと思っていますが、BTCやETHに代表されるパブリックブロックチェーン(誰でも承認やマイニングに参加できるもの)はほぼ全て(恐らく全て)が、現状技術的な問題はあるにせよ、汎用通貨(特定の色の付いていない価値交換の手段)を志向しているんじゃないかと思います。
価値交換において最も重要なことと現状
なぜブロックチェーンが必要なのかという議論においても非常に重要なことだと思っているのですが、あるAさんとBさんの間で価値交換の媒体として日本円を使おうと思ったときに、それが成立するために必要なのは共通認識(合意形成)だと思います。
これは簡単な話で、例えば日本人が中国に行って福沢諭吉で商品を買おうとしても多くの場合買うことが出来ないと思います。これは福沢諭吉には価値があるという合意形成が日本人と中国人の間ではないからです。
つまり通貨として成立するためには、上記で書いた価値を表現できるという性質を持つことを前提として、共通認識(合意形成)が存在していることが絶対に必要です。
では現状その共通認識(合意形成)を作り出しているのは何か、というとそれは各国に固有の教育や法律、メディア、長年通して根付いた文化等だと思います。しかし、現状政府や文化、法律等は国ごとに分かれており、国ごとに別々の通貨(価値交換の手段)を使っているのが現状です。
そしてブロックチェーンとコンセンサスアルゴリズムを使って世界で統一的な価値交換の手段を提供する、というのが、この問題に対するブロックチェーンが提案した解決策だと思っています。
なぜグローバル統一通貨が必要なのか
そもそもグローバル通貨なんて作る必要があるのかってことについてですが、これに対する回答はすごくシンプルで、戦争をなくすためだと思っています。やっぱり生きてて一番怖いのは死ぬことですから、各国のトップも自国が戦争に巻き込まれないよう、あるいは被害を最小限に食い止めるために政治的な争いを繰り広げていることだろうと思います。(政治詳しくないのでテキトーです)
ただ、昔から色々な人が世界統一によって戦争のない社会を実現しようと試みるも上手くいかず、現状地域ごとに多くの国ができて分散した社会になってしまっているのが現状です。(もちろん支配欲とか他の欲もあるとは思いますが細かい議論はここでは無し)
でもそれはよく考えると当然のことで、自分がトップになれば(極論ですが)通貨を発行したり法律を作ったりできるわけですから、みんな自分がトップになって支配したい訳で、世界統一なんて簡単にできるわけがないんですよね。で、個人的にグローバル通貨の存在ははこれに対する解決策だと思ってる訳です。
これについて、いくつかの観点からもう少しちゃんと考えて見ようと思います。
なぜ人は争うのか
合意形成ができないから、争いが起こるのだと思います。なんでもそうですが、人と人は意見が対立したとき、お互いの利害が一致しなかったときに争います。
グローバルに合意形成出来てることが一つでもあるか
現状グローバルに合意形成出来ていること、つまり世界のどこに行っても通じることってあるんでしょうか。法律はもちろん通貨も文化も国や地域によって違います。グローバルな共通認識って今の所人類にはまだないんじゃ無いかなと思っています。
共通認識のない人とどうやって合意形成すれば良いか
日常生活や仕事などでも、多くの場面で、誰かにとっての常識が他の人にとっての常識と異なるときが沢山あります。
こういう認識の違いによって大小様々な争いが生じるわけですが、そういう争いに対する解決策の1つが共通の価値交換の手段を持つ、ということなんじゃないかなと思います。
価値観の合わない人同士でも金さえあげればとりあえず解決する、みたいなのってまさにそういうことなんじゃないかなと。で、こういう合意形成をグローバルでするにはやっぱりグローバル通貨が必要になるんじゃ無いかと思っています。
BTCがグローバル通貨になったら
例えば全く文化や価値観の異なる人間と話す場合でも、グローバル通貨が存在している以上はお互いにBTCには価値があるという点については少なくとも合意形成が取れていることになり、これは暴力を用いないで物事を解決する際に非常に重要なポイントかと思います。
単純な話ですが、いざとなったら「BTCあげるから許してください」で解決する可能性が高いですし、「BTCやるから俺に従え」が通用すると思います。気持ち良い世界じゃないかもしれませんが殺し合いよりはましだと思います。
グローバル通貨がブロックチェーンである必要性
グローバル通貨がなぜブロックチェーンである必要があるか、ということについてですが、グローバル通貨は誰でも安心して持つことのできる信頼が必要です。例えばトルコリラが基軸通貨です、と言われても国際的な信頼度が低かったり(価格操作をするんじゃないか、とか)そもそも国力の低い国は外的な要因に左右されやすいため、安心して参加することが出来ませんよね。
さらに、現状では米ドルが世界の基軸通貨になっているかと思いますが、米ドルを発行する権利はアメリカが持っているため、アメリカよりも中国が国力をつけてきたときに、これに大人しく認めるとは思えないし、過去にも基軸通貨はイギリスのポンドから米ドルへと移っています。国力の栄枯盛衰に合わせて移り変わって行ってもいいのかもしれませんが、いつまでたっても社会全体としては進歩していない感じがしますよね。
そんな中で、ビットコインやイーサリアムのような特定の管理者がいないかつ誰でも参加可能なネットワーク上で、あらかじめ定められたプロトコルに従う通貨、というのは、誰もが安心と納得感を持って保有できる、今後末長く続くグローバルな基軸通貨になる可能性があるんじゃないかと思うわけです。
あそこの国の発行する通貨は信用できん、みたいなのは個人レベルでも国家レベルでも存在しているはずで、そういう合意形成ができていない部分をブロックチェーンならもしかしたら解決できるかもしれない、ということですね。
通貨以外の用途について思うこと
ブロックチェーンの通貨以外の用途についてですが、グローバルなパブリックチェーンという意味では通貨以外は考えられないと今の所思っています。
ただ、バリデータを限定したコンソーシアム型のブロックチェーンやPoAのもの関しては、何らかの価値観を共有する人たちの間で使われる独自通貨や、その他共有財産などを表現できると思っていて、この辺りがdappsとかサイドチェーン系の話かなと思っています。
あとは世の中のあらゆるサービスは通貨と紐づいていますので、そういう意味でブロックチェーンを使ったサービスが云々というよりは、何かサービスやるなら当然支払い手段として導入はされるだろうなと思っています。
技術的な理解とブロックチェーン
技術的な問題点については僕も勉強中ですが、ビットコインに始まる暗号通貨は基本的にベースとなる思想があった上での技術だと思っていて、ベースにある思想と技術的な課題は明確に区別して考えるべきなんじゃないかとは思っています。
僕の認識では暗号通貨はあくまでグローバル通貨を作るものであり、グローバルで使える通貨という価値交換の手段を表現するための技術的な課題としてスケーラビリティやネットワークの問題に対して多くの技術者の方が取り組んでいる、という感じに認識しています。
僕の立ち位置
僕は多少開発はできますが、ブロックチェーンのコア開発に参加できるほどの技術は現状無いので、インターネットについての知見を深めつつ世の中にどうやって導入していくことができるかとかを考えて、アプリケーションのレイヤで何かできたら良いなと思っています。
ALISとアムウェイとブロックチェーン
こんにちは。現在東京大学の4年で大学休学中で個人で開発の仕事などしているもので、最近はEthereumによるDappsの開発案件なんかも参加したりしています。今回はブロックチェーンやコミュニティビジネスについて自分が思っていることを書いていこうと思います。
先日、友人が悪名高い(アムウェイの方いたらすみません)アムウェイをやっていることを知り、ネットワークビジネスについて考えていたのですが、それがブロックチェーンにおけるコミュニティビジネスに近いなあと感じたので、自分の考えていることを書いていきます。
内容はざっと
・コミュニティビジネスについて
・現状のALISやブロックチェーン界隈について
と言った感じになると思います。
1.コミュニティビジネスについて
僕は悪名名高いアムウェイも、ALISというメディアも、本質的な構造はかなり近いと思っています。ただ詳しい内部事情を知っているわけでは無いので、あくまで概論的な感じで受け取ってもらえると助かります。
まずコミュニティビジネスというものは、基本的に創始者やアーリーアダプターほど得をする仕組みになっていて、組織が広がって末端から入る人ほど損する(あるいは高くつく)仕組みになっています。
アムウェイなどのネットワークビジネスだとわかりやすいですが、後に入った人の手数料や権利収入の一部は紹介者がもらえる仕組みなっているため、最初に始めた人ほどねずみ講的に紹介者が増殖し、潜在的な加入者も含めた全体のパイはある程度限界があるため、得をする一方で後から入った人は儲けることが難しくなります。
コミュニティビジネスも同様で、コミュニティートークンの価値を上げるためにはコミュニティへの加入者を増やす必要があり、最初に入った人はトークンの価値が低い段階でトークンを購入・取得できる可能性が高いため、コミュニティの成長にしたがってより多くの価値を享受できるようになります。
もちろんそれは単純なトークンの価値という点だけでなく、アーリーアダプターとして持っている情報やノウハウ、コミュニティ内でのマナーを熟知しているなどの点でも早く入った人の方が有利になります。
*もちろん、ALISはねずみ講的に手数料を積み重ねる仕組みでは無いと思うので、MLMなどの仕組みとは違うと思いますが、ここで指摘したい点は異なります。
何が問題か?
上述したように、ネットワークビジネスやコミュニティビジネスはコミュニティの価値をあげることや、加入者を増やすことが目的になりがちなので、以下のような状況に陥りやすいと思います。
・(仮に無意識であっても)必要以上に友人や周囲の人間を勧誘する
・内部で独自の文化が形成され、(良くも悪くも)宗教っぽくなる
・コミュニティの中で稼げない人や一向に地位の上がらない人が出てくる(アムウェイだと稼げない人、ALISだとブログを全然読んでもらえない、とか?)
・異なる思想を持った、または近い思想を持ったコミュニティと対立する
これは、必ずしも悪いことではなく、独自通貨や価値観を持ったコミュニティを形成する以上、避けられないことかと思います。
以上のようなコミュニティ形成、コミュニティビジネスの前提を踏まえて現状ALISやブロックチェーン界隈がどうなっているか。
2. 現状のALISやブロックチェーン界隈について
個人的に、ALISはとても面白いサービスだと思っていますし、ブロックチェーン技術にもすごく期待しています。Dapps開発もしています。ただ、客観的に見たときにすでにALIS信者的な人も、ブロックチェーン信者的な人も存在している一方で、多くの人はまだまだブロックチェーンやその上で動くサービスは怪しいものだと考えています。
一方で内部の人たちは皆、自分が所属するコミュニティの思想や通貨を広げたいと思っています。その中で過激派のような人たちが現れて、他のコミュニティやサービスと対立したり、必要以上に周囲の人間を勧誘することも十分考えらると思います。
ブロックチェーンが分散化を謳う一方で、結局通貨やコミュニティが増え、その数だけ対立が増えるようなことになると、なんのためのテクノロジーなのか良くわからないなと思っていて、アリスや、イーサリアム、ブロックチェーンの健全な?発達のために、内部では大いに盛り上がるべきとは思う一方で、異なるコミュニティの批判や対立をせずに、個人が複数のコミュニティに所属することが許容されるような文化ができていけば良いなと思っています。
友人がアムウェイをやっていると聞いて、ふと思ったことをガーッと書きました。
twitter: @yamamoto_ban
物欲がなさすぎて困った話
とあるブロックチェーン関係の起業家の方とお話をする機会があり、その中で"共感の搾取"という言葉が出てき他のですが、その言葉が自分の中で強く印象に残ったので、忘れないうちに書いておくことにしました。
共感の搾取とは、相手から一方的に共感を受け取り、自分は共感を提供しないこと。そしてそれが現在の日本の家庭でかなりの割合で起こってしまっているのではないか、と言う話でした。
強く印象に残っているのは、自分の家庭でもまさに"共感の搾取"が起こっていたなと思ったからです。僕の家庭の事情など大して興味はないと思いますが説明すると、僕は親が医者だったため、億万長者とはいきませんが日本の一般的な家庭に比べるとそれなりに裕福な家庭でした。
もちろん生活必需品に苦労したことはないし、 習い事もやりたいと言えばできるような状況ではありました。また共働きで親が家事の時間を取れないため、幼い頃から外食の生活が普通でした。こんなことを言うと多くの人には羨ましがられるのですが、お金があって恵まれたこと以上に"共感の搾取" によって苦労したと言う記憶の方が圧倒的に強く残っています。
"やってあげたい"と言うエゴ
そんな裕福な家庭に生まれ落ちた僕でしたが、僕は幼い頃、欲しいものといえばせいぜい漫画とか本くらいであまり物を欲しがるタイプではありませんでした。
しかし一方で、親は子供に何かを"やってあげたい"と言う気持ちを満たしたい訳で、そこが"共感の搾取"を生み出す大きな要因でした。
例えば親としては、仕事が落ち着いた時に子供と一緒に街に繰り出し、"子供に何かを買ってあげ、子供に喜んでもらう" と言うことが恐らく彼らにとっての幸せだった訳で、しかも僕の親の場合はそれが"自分が子供が欲しがると想定している物" でなければ満足出来ないと言う点で、非常にたちが悪かったです。
僕は基本的に漫画とか本くらいしか欲しいものと言われても思いつかなかったのですが、それだけで十分だ、と言うことを伝えると親は怪訝な顔をして、「ゲーム買ってやってもいいよ」みたいなことを言う訳です。
旅行に連れて行かれた時もそうでしたが、僕は正直旅行には興味なくて、家で一人で漫画読んでる方が幸せだったので、旅行に連れて行かれても退屈そうな顔をしていたのですが、そうすると「何でブスッとしてるんだ」と怪訝な顔で聞かれる訳です。
旅行にもゲームにも興味なく、街に繰り出すなら家で漫画読んでいたい派だったのですが、こう言う"やってあげたい"の押し付けに苦しみ、いつの間にか自分の親が自分に何をして欲しいと思っているか、を察して欲しいフリをすると言うことを繰り返すようになっていき、元々好きで読んでいた科学の本やコンピュータのタイピングゲームなどは少しずつ触らなくなっていきました。親や周囲の"やって上げたい"と言う気持ち(押し付け)に応えることが最優先になっていってしまいました。
そうやって部活に入り、受験勉強をして、少しずつ"世の中のスタンダード"に合わされていきましたが、結局自分の欲求に従って生きてきた訳ではなかったため、溜めてきた欲求が大学3年の就職活動の時に強烈な拗らせとなって表面に出てきてしまいました。
わがままに聞こえるかもしれませんが、欲しくもないものを与えられてやってあげたという顔をされることの苦しさは半端なかったです。これなら貧乏の方がまだ幸せなんじゃないかと思ったことも何度もありました。
共感の押し付けをしない社会に
僕のような共感の搾取によって自分の欲求を忘れてしまっていたり、うまく表現出来なくなってしまった人がすごく今の日本には多いと感じています。あくまで実感ベースですが。
ブロックチェーンによってあらゆる価値が顕在化し、国が定めた画一的な価値観だけでなく、多様な価値観が定量的に評価されることによってそう言う拗らせをなくすことができるんじゃないかと。自分もそうですが、ブロックチェーンに興味を持っている人の中にはそう言う考えを持っている人が多いのかなと思っています。
やっぱりブロックチェーンって面白いね。
関係ないですがちなみに僕は物欲だけでなく性欲も弱いので、彼女もいないです。
ブロックチェーンによって無償の愛はなくなってしまうのだろうか
前回の記事で書きましたが、ブロックチェーンによってあらゆる価値がトークンを利用することで再評価され、価値が分散されていく社会が実現できると思います。しかし、社会には「持たざる価値」「望まざる価値」みたいなものが存在していて、そういう価値をどう表現していくのだろうか、ということについて少し考えてみようと思います。
そういう価値はどうなるんでしょうか。例えば、友達同士でも、引越しの手伝いや大学の課題、会社の課題を手伝った時に「気にしなくていいよ」とか「お前からお金は取らないよ」とか、そういうやりとりって多くの人が経験したことあると思います。
ブロックチェーンによる価値の透明化が進んでいく社会の中で、こういう、今まで存在していた"対価を請求しないという価値" みたいなものをトークン化するという試みが必ず行われると思います。しかし、果たしてこの試みはうまくいくんでしょうか。
ある意味、ブロックチェーンによる価値の透明化社会というのは、持たざる、望まざる価値みたいな資本主義へのアンチテーゼの全否定みたいなところがあると思います。
"現世ではお金ではなくて徳を積む" はずだった価値観が、"お金ではないけどトークンを積む" ことになってしまうため、これでは"無償の愛"じゃなくてトークンもらってるよね、ということになってしまうなと。
これって、"拝金主義へのアンチテーゼ" だった思想が "人徳トークンを集める思想" へと変わってしまうわけで、結局これって資本主義と一緒になっちゃうな、と。そうすると優しくする方も"無償の愛"だったはずが、心の中で"人徳トークンよこせよ" とそう思い始めてしまうわけですね。
僕の中で、これに対してはざっくり分けて4つくらい可能性があるかなと思っています。
1. 人徳トークンなるものの価値を認め、資本主義に取り込まれる
2.人徳トークンはお金とは交換できず、生活必需品とのみ交換可能になる
3.トークンなどの"対価"を受け付けない姿勢を貫く
4.本人も気づかぬ間にトークンが蓄積される仕組みを作る
あたりが生まれてくるのかなと。1は、"優しさ"や"人徳" を価値と認め、資本主義の中でトークンを蓄えるという方向に向かうという立場。2は、"人徳トークン"はあくまで"求めないこと"への対価であり、生活必需品のみとの交換飲みに有効で贅沢品や嗜好品には使えない、みたいな折衷案的な立場。3は、あくまで"目に見える対価"をもらうことを拒む立場で、資本主義に対して対立的な立場を貫く人たち。
4に関しては、並列して並べるのは少し違うかなとも思いましたが、トークンを与えられる側はそれを直接認識することができないようにする、というのは一つありかなと。少し説明すると、例えばAという人がB、C、Dさん3人の人に対してなんらかの親切をしたとして、その優しさに感動したBさんがAさんにトークンを支払ったとします。その時にAさん自身は誰からどのくらいトークンをもらったかはわからないけど、月末に少しボーナスが振り込まれていて、誰かが感謝してトークンを支払ってくれたことに気づく、みたいな仕組みです。
個人的には、多くの場合4のような、"間接的な利益" みたいなのを求めているのが今の社会における優しさの実体かなと思っているので、4みたいな仕組みが一番多くの人にフィットする仕組みかなと思います。
価値が透明化された社会では、今無償の愛なるものを主張し拝金主義を否定している人たちも、より細分化された価値観の中で、多くの人は資本主義に取り込まれ、一方で一部の人はそれを否定し続けるのかなと。
最近、Ethereumのアプリ開発始めたので、興味ある人いたら連絡ください。
Twiter → @yamamoto_ban
あと全然関係ないですが、Ethereumのアプリ開発で使いたいので、 よかったら投げ銭ください。ちょっとでいいので。m(_ _)m
→ 0x597b2541106ba1ad949b443c1d824bbcec47a264 までお願いしますm(_ _)m
読んでいただきありがとうございました。さようなら。
同情するなら金をくれ、という時代は終わりに近づいているかもしれない
同情するなら金をくれ
という有名な一節がありますが、この言葉はブロックチェーンの台頭によってなくなるかもしれない。
最近、ICOという言葉を頻繁に耳にする方も多いかと思います。ICOは、Ethereumというプラットフォームを利用したものが多いのですが、イーサリアムを利用したICOではICOを実施する組織が独自の"トークン"と呼ばれるものを発行し、それを購入してもらうことによって資金調達をします。
このトークンは取引所で扱ってもらうこと(上場する)によって株式のように売買することができるようになるため、IPOになぞらえて説明されることが多いように思います。
しかし、僕はこの"トークン"という概念を単に株式ではなく、もう少し広く”価値を具現化したもの”と考えています。例えば株式であれば、それは会社における議決権という価値を表したものだと思います。組織において意思決定をする権利、をトークン化したものとも言えると思います。しかし、世の中には議決権以外にも色々な"価値"が存在します。
あの人優しいけど貧乏だよね、という言葉もなくなるかもしれない
今の時代では、"お金"が画一的な価値指標として強すぎるために、"優しい"とか、
"面白い"とか、それだけではなかなか価値として認めてもらえないですよね。"優しいけど" という言葉にあるように、"優しさ" ということに多くの人が価値を感じているのに、今まではそれを評価する仕組みがなかったんです。
しかし、ブロックチェーンの"トークン"という概念を利用することによって、"優しさ"という概念を価値として具現化することができるようになる。そしてブロックチェーンの凄いところは、そういう価値を具現化したトークンを誰でも発行できるようになったことだと思います。
ここら辺もう少し突っ込んで見ます。今まで、通貨、つまり"価値"を具現化したものを発行する権利は、国という巨大な信用をもつ団体の特権だったわけですね。企業でも大きな企業、例えばAmazonなんかはAmazon ポイントを発行していますが、あれはAmazonというサイトで商品と交換に使えるという"価値"を体現した一種の"通貨(トークン)"ですよね。そしてそれはAmazonという企業の信用力の成せる業でした。
でも、ブロックチェーンを使うと、誰でも信頼の担保された"通貨(トークン)"を発行できるようになります。例えば"優しさ"という概念に強い価値を感じている人がいたとして、"優しさトークン"なるものを誰かが発行したとします。もし、その思想に共感する人が大勢現れ、優しさトークンが一種の"価値"と認められ、そのトークンがお金やその他の物とかと交換できるようになったとしたらもう誰も"彼は優しいけど貧乏だよね" などと口にしなくなり、"彼は優しい人だね" とスッキリ気持ち良い感じになるわけですね。
こういう風に、誰もが信頼の担保された通貨(トークン)を発行できるようになることで、国や大企業が認めていなかったが、実は存在していたあらゆる”価値”が具現化できるようになっていく。ブロックチェーンによってそういう社会が実現できるわけです。物流をブロックチェーンで管理するとか、ブロックチェーンを利用したメディアとか、色々ありますが、全て"価値の可視化"みたいなとこに向かっていると思います。
同情するなら同情トークンをくれ、の時代へ
今まで説明してきたように、今度は"同情トークン"のようなものが現れ、"不当に、あるいは不運に見舞われて損をしたとき" とかにそのトークンをもらえるような社会がやってくるかもしれません。
そんな風に、"今は顕在化していないけど実際は存在している" みたいな価値がブロックチェーンによって顕在化していき、世の中がより最適化されていく。それがブロックチェーンによって訪れる社会であり、それを最初に体現したのがヴィタリック・ブテリンであり、イーサリアムだと僕は思っています。
そして僕はその思想に強く共感したので、そんな社会の実現に向けて少しでも貢献できれば良いなあと思っています。
少し前からEthereumのアプリ開発を初めていて、一緒にやって見たい人とか、興味ある人とかいたら連絡くれると嬉しいです(twiter: @yamamoto_ban)。Youtubeでの発信も始めようかと思って準備してます。
読んでくれてありがとうございます。さようなら。