ブロックチェーンによって無償の愛はなくなってしまうのだろうか
前回の記事で書きましたが、ブロックチェーンによってあらゆる価値がトークンを利用することで再評価され、価値が分散されていく社会が実現できると思います。しかし、社会には「持たざる価値」「望まざる価値」みたいなものが存在していて、そういう価値をどう表現していくのだろうか、ということについて少し考えてみようと思います。
そういう価値はどうなるんでしょうか。例えば、友達同士でも、引越しの手伝いや大学の課題、会社の課題を手伝った時に「気にしなくていいよ」とか「お前からお金は取らないよ」とか、そういうやりとりって多くの人が経験したことあると思います。
ブロックチェーンによる価値の透明化が進んでいく社会の中で、こういう、今まで存在していた"対価を請求しないという価値" みたいなものをトークン化するという試みが必ず行われると思います。しかし、果たしてこの試みはうまくいくんでしょうか。
ある意味、ブロックチェーンによる価値の透明化社会というのは、持たざる、望まざる価値みたいな資本主義へのアンチテーゼの全否定みたいなところがあると思います。
"現世ではお金ではなくて徳を積む" はずだった価値観が、"お金ではないけどトークンを積む" ことになってしまうため、これでは"無償の愛"じゃなくてトークンもらってるよね、ということになってしまうなと。
これって、"拝金主義へのアンチテーゼ" だった思想が "人徳トークンを集める思想" へと変わってしまうわけで、結局これって資本主義と一緒になっちゃうな、と。そうすると優しくする方も"無償の愛"だったはずが、心の中で"人徳トークンよこせよ" とそう思い始めてしまうわけですね。
僕の中で、これに対してはざっくり分けて4つくらい可能性があるかなと思っています。
1. 人徳トークンなるものの価値を認め、資本主義に取り込まれる
2.人徳トークンはお金とは交換できず、生活必需品とのみ交換可能になる
3.トークンなどの"対価"を受け付けない姿勢を貫く
4.本人も気づかぬ間にトークンが蓄積される仕組みを作る
あたりが生まれてくるのかなと。1は、"優しさ"や"人徳" を価値と認め、資本主義の中でトークンを蓄えるという方向に向かうという立場。2は、"人徳トークン"はあくまで"求めないこと"への対価であり、生活必需品のみとの交換飲みに有効で贅沢品や嗜好品には使えない、みたいな折衷案的な立場。3は、あくまで"目に見える対価"をもらうことを拒む立場で、資本主義に対して対立的な立場を貫く人たち。
4に関しては、並列して並べるのは少し違うかなとも思いましたが、トークンを与えられる側はそれを直接認識することができないようにする、というのは一つありかなと。少し説明すると、例えばAという人がB、C、Dさん3人の人に対してなんらかの親切をしたとして、その優しさに感動したBさんがAさんにトークンを支払ったとします。その時にAさん自身は誰からどのくらいトークンをもらったかはわからないけど、月末に少しボーナスが振り込まれていて、誰かが感謝してトークンを支払ってくれたことに気づく、みたいな仕組みです。
個人的には、多くの場合4のような、"間接的な利益" みたいなのを求めているのが今の社会における優しさの実体かなと思っているので、4みたいな仕組みが一番多くの人にフィットする仕組みかなと思います。
価値が透明化された社会では、今無償の愛なるものを主張し拝金主義を否定している人たちも、より細分化された価値観の中で、多くの人は資本主義に取り込まれ、一方で一部の人はそれを否定し続けるのかなと。
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