人生を深く考える日記

一人の小僧が人生やプログラミングについて考える日記です。

物欲がなさすぎて困った話

 

とあるブロックチェーン関係の起業家の方とお話をする機会があり、その中で"共感の搾取"という言葉が出てき他のですが、その言葉が自分の中で強く印象に残ったので、忘れないうちに書いておくことにしました。

 

 

共感の搾取とは、相手から一方的に共感を受け取り、自分は共感を提供しないこと。そしてそれが現在の日本の家庭でかなりの割合で起こってしまっているのではないか、と言う話でした。

 

 

強く印象に残っているのは、自分の家庭でもまさに"共感の搾取"が起こっていたなと思ったからです。僕の家庭の事情など大して興味はないと思いますが説明すると、僕は親が医者だったため、億万長者とはいきませんが日本の一般的な家庭に比べるとそれなりに裕福な家庭でした。

 

 

もちろん生活必需品に苦労したことはないし、 習い事もやりたいと言えばできるような状況ではありました。また共働きで親が家事の時間を取れないため、幼い頃から外食の生活が普通でした。こんなことを言うと多くの人には羨ましがられるのですが、お金があって恵まれたこと以上に"共感の搾取" によって苦労したと言う記憶の方が圧倒的に強く残っています。

 

 "やってあげたい"と言うエゴ

 

そんな裕福な家庭に生まれ落ちた僕でしたが、僕は幼い頃、欲しいものといえばせいぜい漫画とか本くらいであまり物を欲しがるタイプではありませんでした。

しかし一方で、親は子供に何かを"やってあげたい"と言う気持ちを満たしたい訳で、そこが"共感の搾取"を生み出す大きな要因でした。

 

 

例えば親としては、仕事が落ち着いた時に子供と一緒に街に繰り出し、"子供に何かを買ってあげ、子供に喜んでもらう" と言うことが恐らく彼らにとっての幸せだった訳で、しかも僕の親の場合はそれが"自分が子供が欲しがると想定している物" でなければ満足出来ないと言う点で、非常にたちが悪かったです。

 

 

僕は基本的に漫画とか本くらいしか欲しいものと言われても思いつかなかったのですが、それだけで十分だ、と言うことを伝えると親は怪訝な顔をして、「ゲーム買ってやってもいいよ」みたいなことを言う訳です。

 

 

旅行に連れて行かれた時もそうでしたが、僕は正直旅行には興味なくて、家で一人で漫画読んでる方が幸せだったので、旅行に連れて行かれても退屈そうな顔をしていたのですが、そうすると「何でブスッとしてるんだ」と怪訝な顔で聞かれる訳です。

 

 

旅行にもゲームにも興味なく、街に繰り出すなら家で漫画読んでいたい派だったのですが、こう言う"やってあげたい"の押し付けに苦しみ、いつの間にか自分の親が自分に何をして欲しいと思っているか、を察して欲しいフリをすると言うことを繰り返すようになっていき、元々好きで読んでいた科学の本やコンピュータのタイピングゲームなどは少しずつ触らなくなっていきました。親や周囲の"やって上げたい"と言う気持ち(押し付け)に応えることが最優先になっていってしまいました。

 

 

そうやって部活に入り、受験勉強をして、少しずつ"世の中のスタンダード"に合わされていきましたが、結局自分の欲求に従って生きてきた訳ではなかったため、溜めてきた欲求が大学3年の就職活動の時に強烈な拗らせとなって表面に出てきてしまいました。

 

 

わがままに聞こえるかもしれませんが、欲しくもないものを与えられてやってあげたという顔をされることの苦しさは半端なかったです。これなら貧乏の方がまだ幸せなんじゃないかと思ったことも何度もありました。

 

 

共感の押し付けをしない社会に

 

 

僕のような共感の搾取によって自分の欲求を忘れてしまっていたり、うまく表現出来なくなってしまった人がすごく今の日本には多いと感じています。あくまで実感ベースですが。

 

 

ブロックチェーンによってあらゆる価値が顕在化し、国が定めた画一的な価値観だけでなく、多様な価値観が定量的に評価されることによってそう言う拗らせをなくすことができるんじゃないかと。自分もそうですが、ブロックチェーンに興味を持っている人の中にはそう言う考えを持っている人が多いのかなと思っています。

 

 

やっぱりブロックチェーンって面白いね。

関係ないですがちなみに僕は物欲だけでなく性欲も弱いので、彼女もいないです。